それならそれで視聴者を騙し切る脚本に

 
 けいおん!!21話からは…このメディアをいかにも一つの伝説、オタクにとっての一つの神話に仕立て上げようとする意図が滲み出ていました。それは2期後半のOP映像からも言えることです。
 元々私にとってのアニメ版「けいおん」は、優秀な萌えアニメです。演出も構成も作画も声優もといった俗過ぎる観点で平均水準を超えた、ある意味で普通に優秀な一介の萌えアニメです。皆が中身がないというならそれはそれです。中身のない作品なんていくらでもあります。萌え4コマや青少年の日常系漫画などのアニメ版を筆頭に挙げずとも、また1話完結で閉鎖的な空間と人物しか使わない物語に限らずとも、見る者にとって毒にも薬にもならない作品たちが何食わぬ顔で供給され日常的に愛されているのがこのジャンルでしょう。例えば最近、サムライチャンプルーをレンタルしているんですが、喉にするっと入る350mlペットボトル清涼飲料水みたいなアニメだなぁなどと考えながら楽しんでいます。面白い技巧が凝らされているという意味での楽しみ方や感動の仕方は否定しないにしても、結局は「この作品に酔えよ!」と映像で語りかける雰囲気アニメで、中身も実もすっからかんの刹那のエンターテイメントだとしみじみ感じました。そしてこれは作品に対し俗悪なイメージを持つことと、むしろ真逆な感想です。作り手たちの純粋な感性と技が視聴者の娯楽に生かされた、それこそ「プロ」の仕事だと思うのです。
 対して作品をコンテンツとして生かし作ることもまた「プロ」の仕事でしょうが、それは単純な娯楽としてのアニメの価値を歪ませることに他ならず、醒めた言い方をすれば「オタクをコンテンツのコレクターにせしめる、別種の商売と化する」ものです。
 けいおん!!でのその別種の商法とはつまり、2期そのものを企画した事実、そして劇中歌をCDにして売りだすこと、当然のようにこの二つが当てはまりそうなものですが、CD商法なら元々けいおん一期制作当初から見越されていた計画でしょう。そもそもアニメの企画というかエンターテイメントそのものは元々商売と切り離せないものですし、メディアを発展、展開させたって損する人がいなければ批判する材料にはなり得ません。
 ただし、それは作品が、大勢あるいはニッチな層のファンに視聴させる作品としての価値をメインに据えている場合に限ります。CDにしても当の作品自体はそれに依存しない確固たる娯楽を視聴者に届けるぞ、という姿勢さえみせていれば全く問題ありません。
 しかし21話のライブイベントはあまりにも虚構じみていました。あれは視聴者へのエンターテイメントではありません。けいおん!!のメインキャラクターを、モブキャラを駆使して視聴者の目に親近感あるアイドルとして映るよう仕立て上げる、隔絶的空間でのマッチポンプです。それを持って唯たちに虚構の実体を持たせんとする必死な意図が見え隠れするかのようです。
 私には、「娯楽性を重視させず、キャラクターをコンテンツとして神格化せよ」という指示の下けいおん二期が作られた…と感じられてなりませんでした。それが酷く悲しい類の別種の商売として思えて、原作を含むけいおんという作品から、私が楽しんでいた「中身のないエッセンス」が実はエッセンスですらなく、文字通り形骸と化してしまうようでした。
 コンテンツして扱われたがゆえに何かがずれていく苦い感覚は、同じく角川系列である涼宮ハルヒの驚愕の発売延期にも味わわされています。いつか原作とアニメは一蓮托生だと言いましたが、メインとなる作品が商売としての企画に、ここまで振り回されてしまう様を見るのは哀しく、こんなメディアばかり跋扈するジャンルだったらいつか根底から歪み腐っていくのではないかと酷く不安になってしまうのです…。