「機動旅団八福神」 正統派ロボット漫…あ、いや、なんでもない

 今年アニメ化され、監督の「原作が嫌いです」発言がファンの間で物議を醸しまくった「ぼくらの」という漫画があります。
 私は原作もアニメも未見なのですが、ロボに搭乗するという行為自体がパイロットの生命力を賭すことになる、いわば「乗れば人が死ぬ」という中々の欝設定っぷりから、同ジャンルでは浮いている「異色のロボットもの」という印象が私にはあります。しかも子供たちの内面の葛藤が主として描かれているそうで、エヴァンゲリオンよろしく的な欝展開を容赦なく見せ付けてきそうです。ネット上の評判や作者の前作からして、それはほぼ間違いない事実でしょう。……あれですか。もしかしてエヴァンゲリオン参号機クラスのトラウマ展開が複数存在するんですか。嫌過ぎる…。まだオレの弱いハートにはキツ過ぎるぜ…。
 
 さて本題。それとは別の「正統派ロボットもの」として、この漫画を紹介させていただきます。

機動旅団八福神 (1巻) (Beam comix)

機動旅団八福神 (1巻) (Beam comix)

機動旅団八福神」 6巻〜
 
 読者層が「ぼくらの」とどれほど被ってるのか全然分かりませんが、これもちゃんとしたロボット漫画です。自分的には。
 この作品の舞台は国家間での戦争。子供…というより、青少年、少女たちが、「福神」と呼ばれるロボットに搭乗して戦うという設定です。
 主人公はそのジャンルに相応しいヘタレ属性と、一つの信念を持っています。それは「人を殺したくない」ということ。しかし本人のいる立場は紛れもない軍人。それ故の葛藤、そして任務への影響が生じ、周囲から激しく責め立てられたりもします。
 …しかし頑固な主人公はそれでも己の信念に基づいて動きます。例え周囲から嘲笑されようとも、人が殺し合う戦争を、人を殺さない方法で終わらせるべく…! 
 
 ね?凄く普通のロボットものっぽいでしょう?
 
 しかし…じゃあ本当に王道の正統ロボットものなのかと言えば…
 
 ごめんなさい…違います…
 
 こう主人公の男っぷりを推しておきながらなんですが、
実はコイツ、ただの頭でっかちなんだよなぁ……。
 
 別に主人公には、人を殺さないことに対して過去の因縁とかなんとかが特に絡んでいないんです。それは漫画のミスじゃなくて、本当にそういう描写がされてる。しかも軍人であることのメリットが具体的でない。ある種学生運動に参加する学生みたいなもので、平和主義というポリシーが成長過程で刷り込まれたに過ぎないんですよ。しかも「人を殺さない軍人」という姿勢は裏目にしか出ないし、敵の心を掴んで新たな仲間を得る、っていう甘い展開にも全くなりません。
 衝撃ですよ…。よくある展開では、不殺を徹底する主人公が、敵、あるいは味方からその信念を否定され、「俺は戦士としては失格かも知れない……。でも俺は俺自身を裏切りたくはない!どうしてもこの信念だけは曲げられないんだ!」となり、やがて主人公パワーを発揮し、周囲の気持ちを変えていくという感じになると思うんですが、そうはなりません。この作品ではそもそも主人公が初めから不完全で、信念に忠実に生きてはいるけど説得力が全くないんだよなぁ…。本人の中では納得し切ってるんですが。
 じゃあこの物語には説得力がないからリアリティもないのか?といえば、それも違います。むしろ、人の信念の根源に何かのドラマを期待する方がフィクションの発想なのです。
 もちろん、そういうフィクション自体が悪いというのではありません。が、リアリティは「ドラマ性を持たせること」だけでなく、あえて「持たせない」ことで表現される場合もあるということです。社会の未来を憂い、何らかの活動に乗っかるということに、その大半はどれ程の具体的な理由を持っているのでしょうか?個人が反戦主義、平和主義を主張する時、そこには果たして、大衆性が少しでも反映されていないと言えるのでしょうか?
 作中の登場人物全てに行動の理由がない、という訳ではありません。軍人になるべくしてなった少年も少女もいますし、軍人としてのプライドを持った大人たちもいます。主人公はその中でたまたま盲目的な信念に取り付かれていただけで、たまたま生き残ってたまたまロボットの操縦者に選ばれたに過ぎない。ただ、それだけのことなんです。
 
 ロボットものに留まらず、ある種の作品たちはその中に何らかのテーマ(例えば社会的な)を忍び込ませているものです。そして製作者の主張せんとすることを、キャラの発言や行動、またはその他の手段の中で比喩的に表現します。そこに一々視聴者が反応し、意見を返さなければいけないという必要性はないのですが、意識せずとも登場人物の行動や発言に、「ん?」と思ったり「分かる分かる!」と思ったり「そうかもなぁ」と感じることは時折あるものだと思います。こういうことは製作者の計画通りに仕組まれたことなのかもしれませんし、もしくは自然体で描いたからこそ滲み出たメッセージであるかもしれません。
 その原因となる描写全てが製作者の主張そのものだとは言い切れませんが、そうやって作品を「深読み」していくのも、漫画に留まらず色んな作品を楽しむ上での一つの醍醐味です。
 また、とにかく基本的にはどんな作品も、そのキャラクターが何かを主張した時、それが製作者の意思だとあからさまに分かってしまうような描写は許されません。折角読者は作品の中にのめり込んでいるのに、突然神の視点にいる第三者が自ら介入してきたら全てがぶち壊しになるからです(初めから語り手を用意しているのなら別ですが)。あからさまに自己主張の激しい登場人物がいても、それが全て作者の主張だと思うと読む分にも苦痛ですし、それは作者も望むところではないでしょう。飽くまで「比喩的」に、かつさりげなく、主張が表現されている場合が多いはずです。
 そういうものは結局、最終回まで通して見なければ分からないこともあります。作中では、結論に辿り着くまでに主張が一転二転しているかもしれないからです。
 私はこの作品の見所が「戦争」にあると思っています。恐らく作者なりの戦争観が最終回に近づけば判明するでしょう。それは作者の本当の主張ではなく、「こんな考え方もあるんだけど、どうか」という一つの可能性の提示にしか過ぎないかもしれませんが、それも結局は作者の考え方です。
 何にしても、この戦争がどのような終結を迎えるのか楽しみです。現時点での注目すべき所は主人公の作戦がどこまで戦争に影響するのかどうか。効果が出るまで相当の時間がかかるかもしれませんが、己が目的の為に奔走する主人公の活躍、しっかり見届けたいところです。
 
 
 あとロボットものって言いましたが、そのロボットは表紙にも出てる通り、着ぐるみみたいな太っちょです。頭のとんがった奴。…いや、作中の他のメカはカッコいいんですよ?戦略核無効化システムとしての「神の左手」とか。そもそも着ぐるみロボットだって結構パイロットの体質とか重要になりますし、シリアスでカッコいいんです。洗剤でいう肌荒れへの注意書きみたいな。
 ふ、ふざけてるんじゃないんですよ?