パーフェクトブルー感想

 
 「東京ゴッドファーザーズ」は出来すぎた脚本でした。ゆえに観客からしてみれば物語に没頭する余地が限りなく希少なものとなり、「良く出来た創作物」としての評価が感情としての感動を遥かに上回る作品となってしまっていたというのが素直な感想です。
 同じ今敏(初)監督の作品である「パーフェクトブルー」は、そんな今敏自身の特性を十分に理解した上で作られた作品であると感じます。それは主人公が最後に残す言葉(反転ネタバレ)が、出来すぎた脚本がリアリティを薄めるという弊害に対しての保険をかけているからです。つまり、この作品そのものが「作品」であると観客に自覚させるよう仕向けて作っている。
 しかしそれは単なる独りよがりなメタ発言にとどまりませんでした。確かにあれは本編からそんなメタフィクションとしての無粋な一面を露呈させかねない危険なワンシーンでしたが、まず第一印象として気の利いた洒落の一つともなるシーンでもあることに疑いはなく、作品そのものの独自性、独立性を貶めることのない、実に練られた発想であると思います。誇りがあり、矜持がある。
 そんな作品からアニメ映画を創作し始めた今敏監督でしたが、その後あえて開き直って脚本主体の作品を作り続けようと思ったのは、出来すぎた脚本そのものの完成度の高さと唯一性が専門家や大衆たちから高く評価されたからなのでしょう。
 
 今敏の脚本はどんなに人を感動させる内容であっても、こんな現実があってもいいよね、と観客に希望を抱かせる余地がありません。思い付いた脚本に人を楽しませであろうという自信があれば、人物の感情描写を物語や演出への必要最低限な量で十分とする。観客をフィクションの中に没頭させることを善しとしていない。それが実にもったいなくもあり、今敏の唯一性を決定付ける重要因子でもあり、実に歯がゆいところであります。
 もう一つ、かつて今敏はNHKの番組にて、僕の作品は2ものを作れないと残していました(私が見たのは実質的に再放送分である追悼番組でしたが)。
 その理由は正しく彼の作品がキャラ物ジャンルから乖離した、一個完結の脚本主体であるためです。要するにパンパンに敷き詰めた作品はこれ以上膨らましようがない。
 彼自身がキャラ物や続編商法を非難したわけではありませんが、確かにハルヒけいおんアイマス辺りと今敏の創作理念では相容れないものがあります。ガンダムも1stですらキャラ物といえるかも。
 例は思いつくまま適当にあげさせてもらいましたが、とはいえ彼らには互いに批判しあう気持ちなど皆無だと思いますし、ファン同士が対立し合う理由もないと思います。そんな機会さえありません。
 エンターテイメントを作り人を楽しませると言う意味では両者ともに共通しています。実際に私としてもどっちがどっちと言う気は起きません。他人の思想をいたずらに弄んでるわけでもないですし、そもそもジャンルというか争う土俵が違っています。
 
 キャラをある程度立たせないと続編を作りにくいという仕組みは、創作者の理念としてはジレンマですらないと思うのですが、キャラ立ちという「遊び」がないことでリアリティが薄まるというのは一人の観客としてジレンマです。そしてその尖り具合に疑問を呈することは今敏の絶対的な個性を奪うことになる…これも大きなジレンマです。
 先ほどは脚本主体とキャラ主体、どっちがどっちということはないと私の意見を書きましたが、今敏作品の特徴をジレンマと感じてしまうこと自体が、私自身「遊び」があるキャラ主体の方を好んでいるという証明になっていると思います。正直フィクションの作品性を愛でるより、フィクションに没頭して現実を忘れたい瞬間の方が多いですから。
 これが消費者側の心理とクリエイター根性との差なんですかね。